PTA総会の「委任状」が、やばい件

小学校(公立)に通う娘が持ち帰ってきた、「PTA定期総会のお知らせ」(委任状付)が、やばい。以下、内容を抜粋。

 

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「全員提出」

議題:前年度事業報告並びに決算報告・新年度事業計画案及び予算案

※当日の出席・欠席にかかわらず、下記の委任状をご記入の上、〇月〇日までに担任の先生にご提出ください(当日ご出席いただいた方の委任状は除いて定足数を算出いたします)。

 

委任状

別紙の「総会資料」を理解し納得したので、平成29年度PTA定期総会の定足数に算入される事を了承し、議決については議長に一任致します。

PTA会員氏名〇〇〇〇(各自記入)印(各自押印)

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何がやばいって、

「議案に私は納得しました。はい、サインもしますね」って委任状を会員全員に提出させる事を強制してるところが、めちゃくちゃやばい。軍事政権か。思想良心言論の自由はないのか。嗚呼アンシャン・レジーム

 

会員全員に配布されている「PTA規約」に書かれている、PTAの説明を読んだら、

「本会は教育を本旨とする民主的団体として自主的に活動すると共に~」

「会員はすべて平等の権利と義務を有する」

云々。

すごい現実との乖離。

 

念のため、昨年度の「PTA定期総会のお知らせ」(委任状付)も確認したら、全く同じ内容だった。

やばい、私、昨年度の本部役員だった。私も、やばいw

自己責任論について

 「自己責任」という言葉が世の中ではすっかり定着しましたが、本来の意味での「自己責任」が成立するには、「(主に精神的に)自立した個人」であることが大前提となっています。ここでの「個人」とは、individualというニュアンスでの「個人」で、「あなたと私は違う人。私の内面の領域に私が望んでもいないのに他人に立ち入られたくはないし、相手が望んでもいないのに他人の内面の領域に私も立ち入らない」などと言い換えることもできます。

 しかし、過去現在にわたって多くの日本人は、自己と他者の境界が曖昧です(=自立した個人とは言えない)。「自立した個人」は日本では少数派です。それは農耕民族的ムラ社会やら島国根性やら甘えの文化やら、そういったことに起因します。

 聖徳太子の定めた「十七条の憲法」の冒頭の「和を以て貴しとなす云々」に代表される思想は日本特有のものかもしれません。一般的日本人は現代でも「和(なごやかな状況・争いごとの無い状況)」を最良のものとし、必ずしも問題解決を最優先とはしない傾向が強い。会社や地域コミュニティやPTAといった「世間」で脈々とそのカルチャーは受け継がれています。「理屈で考えたらおかしい、理不尽だと思うけど、あの人(上司だったり先輩だったりボスママだったり)に逆らうと『空気読めない人』と思われるから黙っておこう」などというシチュエーションがまさにそれです(ちなみに「空気」というワードは日本人論に欠かせないワードです。そこに確かな「論理」は存在しません)。

 他人ありきで自分の意見などまるで無いかのように振る舞う人(≒自己と他者の境界が曖昧な人)が日本では今でも多数派だし、それが美徳であるとすら思われています。 そのようなカルチャーを真向から否定する訳ではありません。そのようなカルチャーには長所(例:抜群の治安の良さ)と短所(例:同調圧力の強さ)の両方があるからです。
 

 しかし、冒頭でも述べたように、「自己責任」という考え方は、本来は「自立した個人」が前提となる考え方です。この「自立した個人」とは、「強い個人」でなくてはならず、元々はキリスト教的思想に立脚した考えた方です(「告解」というシステムなどによって、人間は初めて自己の内面に向き合うようになり、「個人」という考え方が成立した)。キリスト者でなくても「個人」で在る事は可能ですが、それにはかなりの強い意志(あるいは確固たる思想、あるいは経済力、など)が必要となります。・・・果たして一般的日本人に、本当の意味での「自己責任」を各々が取る覚悟はあるのか?答えは否だと思います。自己責任論は、日本国民を不幸にする思想です。伝統的に他者(家族であったり、共同体としての世間であったり)と常に「もちつもたれつ」の関係を維持し続けてきた、かつ「唯一神」を持たない日本人には、合わないし過酷な考え方です。ちなみに「自己責任」は新自由主義ネオリベラリズム)とも親和性の高い考え方ですが、新自由主義ネオリベラリズム)は既に多くの日本人の生活を蝕んでいますし、日本社会をギスギスしたものにしてしまった。今のように声高に「自己責任」という言葉が巷間に流布されるようになったきっかけは、「イラク人質事件」がだったと記憶していますが、そういえば当時の首相は、新自由主義ネオリベラリズム)を日本に定着させた小泉純一郎氏でしたね。

個人的な感情を知らない他人と共有するということについて

 テレビ東京系列で月~金の朝に放送されている「おはスタ」という番組をうちの子どもたちは毎日楽しみにしておりまして、まあバカ番組もテレビ東京も嫌いではない私は好きに見させております。
 が。卒業シーズンに放送されるこのコーナーだけは、大っ嫌いだっ私は。簡潔にコーナーの内容を説明すると、「転居や転勤などの理由により、お別れが決まっている友達や先生に対して、サプライズを仕込んで番組で放映」というやつです。

 

 「もうすぐクラスがえや卒業の時期です。
仲が良かった友達や大好きな先生。
お世話になった人たちに『サヨナラ』のかわりに 『ありがとう』を形にして伝えたい。 それがおはメモリーズです。」

https://www.shopro.co.jp/form/oha/memories2017/


 このコーナーが始まるとチャンネルを変えたい衝動に毎朝駆られるのだけれども、それは子どもたちに対する私の感情の押し付けだと思い、毎朝ガマン(笑)。

 が。先日、娘がついに、言い出した。以下、私と娘の会話。
娘「ねえねえ、私も『おはメモリーズ』に応募していい?(もうすぐ転校が決まっている仲良しの)Mちゃんと一緒に(テレビに)出たい」
私「ダメ」
娘「えー、なんで?」
私「さよならとかありがとうって気持ちは、あんたとMちゃん2人の間の気持ちであって、関係のない人に見せるためのものじゃないでしょ」

 

 娘はなんだか納得のいかない様子だったけれど、私にピシャッと言われたものだから、そのまま黙って、それ以上は口応えはしてきませんでした。傍で様子を見ていた夫は「おお、怖い怖い」という顔して黙って苦笑い。

 

 流石にここまで安っぽい構成の放映内容は珍しいと思いますが(まあ子ども番組ですからね)、似たようなコンセプトの番組は世間には溢れています。その種のもの全てを私は見ないと決めています。
 哀しさとか寂しさとか侘しさとか、そういった個人的な感情を無関係の知らない他人と共有しすぎるのは気持ちの悪い行為で、そういう繊細な私的感情を公然のものとしてしまったら多数の他人に「消費」されてしまうことになると思うのです。自分の心の中にのみ在るべき大切なものが壊れてしまうと思うのです。 
 ・・・と、これを小学生の娘に説明したところで、まだ理解はできないだろうから、上記のような会話になってしまったのですが。

魔法の鉛筆

 小2の娘をいつものように放課後の学童クラブまで迎えに行ったある日のこと。娘は私の顔を見るや否や、今にも泣きだしそうな顔で駆け寄ってきて、こう訴えた。「4Bの鉛筆がなくなっちゃったの」

 

 4Bの鉛筆とは、昨年の暮れに学校からの指示で1本だけ購入した、なんの変哲もない昔からある、三菱のあの鉛筆。低学年の児童は正月の書き初めを、毛筆ではなく4Bの鉛筆で書かせるということだったからだ。書き初めの授業は疾うに終わっていたが、せっかく買ったものだしと、そのまま使わせていた。

 親にとってはその程度の理由で娘の筆箱に入れさせたままに過ぎなかったが、娘にとってはこれが「魔法の鉛筆」だったらしい。筆圧の弱い娘には使い心地がとても良かったらしく、「テストの時にだけ、特別に、使ってたの」と言う。なんちゅう貧乏くさい使い方だと、思わず苦笑してしまったが、もちろん口には出さない。

 「誰か他の子が自分のものと間違えて持っていっちゃったんだろうけど、名前も書いてあったし、そのうち見つかるんじゃない?先生には言ったの?」と娘に聞いたところ、「名前は(かすれて)消えちゃってた。先生にも言って探してもらったけど、見つからなかった」と答える。すでに目には涙が溢れている。

 そんなたかが鉛筆1本で大騒ぎしなさんな、と思ったが、子供にとっては、なんてこともないものが宝物になるんだなあと甘酸っぱい気持ちになり、「じゃあ今日はいつもよりもまだ時間も早いし、帰りに文具屋さんに寄っていこうか」と提案。

 現金なもので、娘の顔がパッと明るくなる。予期せぬ解決策により安心したのと、学校帰りに寄り道というのは小学生にとっては特別だからなのだろう。災い転じてなんとやら。 

 

 文具屋で娘は「今度は2本買ってね!またなくなっちゃうかもしれないから!」と力説する。はいはい、2本でも3本でも買いますよ、でもなるべくなくさないようにね、と言いながら会計を済ませる。夕刻で2人とも小腹が空いていた事もあり、肉屋のコロッケの匂いの誘惑にも負けてしまったが、まあこんなのもたまにはいいかと思いながら、娘と一緒に商店街を歩きながら家路についた。
  

 面倒なので、4Bの鉛筆を、今度は2本まとめて筆箱に入れさせたら、どうやら「魔法」は解けたらしい。明らかに扱いがぞんざいになった。やっぱりなんでも「たったひとつのもの」が特別なのね。